藤山貴司 | ||
造形科3期・創形美術学校校長(故人) | ||
創形美術学校同窓会会報(vol.10)から | ||
2002年6月28日 | ||
「新校長に聞く」 | ||
今年(2002年)4月より創形美術学校の第7代校長に造形科3期卒業の藤山貴司氏が就任されました。 21世紀に入り時代は混迷の度合いを、一層深めています。新たな時代を創形美術学校はどのように歩んでいくのか新校長に聞きました。 聞き手 中村信夫(造形科5期)、渡辺 勇(造形科6期) 構成 工藤礼二郎 ●まずはじめに就任三ヶ月が過ぎ現在の率直な感想をお聞かせ下さい。 「今までとは異なる立場に突然なりましたので正直なところ戸惑いと責任の重さを痛感しています。また校長とファインアート科の主任を兼務していますので、教育の現場におけるビジョンと組織の円滑な活動を同時に考えていかなければなりません。肉体的には大変ですが一方就任後三ヶ月が経ち手ごたえも感じておりますので、精神的には充実しています。」 ●卒業生から校長が誕生したことは、私達同窓会もとても喜んでおります。ところで先生が卒業されてから約三十年が経つわけですがその間先生は創形をどのように見てこられましたか? 「三十年という時間を一言で括るのはなかなか難しいのですが、私が学んだ当時と現在の美術教育のあり方、美術と社会の関わりそのものが随分変化していると思います。創形の組織自体もビジュアルデザイン科が設立されたりしながら徐々に変遷してきました。そのような中で創形が美術学校としての位置を日本の美術界の中で確実に占めてきたなと実感しています。それもあるレベルを維持しながら今日に至っていることは認知されているのではないでしょうか。絵画に限らず表現することは見ることから思索することまでも含め、一つのビジョンを示すことだと思います。そして表現の原点としての描く行為の歴史や可能性、また表現の発生する場といったものを意識させることが創形の教育の根幹になっているからこそ現在に至っているのではないでしょうか。」 ●それでは先生の創形におけるニューリーダーとしてのこれからの考えをお聞かせ下さい。 「学校という組織も基本的には人間の行うことですから、様々な人がそれぞれの立場で一番能力を発揮出来るような環境や雰囲気づくりを大切にしたいと思っています。また私がずっと行ってきた子供の美術教育や創形を卒業してからの三十年の経験をとおして思うことは、大人が子供達や若い人達に伝えなければならないことがいくつかあって、そのひとつに流行り言葉じゃありませんが明日があるということの意味、また一方で明日があるということの嘘の部分も含めて教えてあげなければいけないということです。」 ●先ほど先生がおっしゃった先生が長く熱心に関わってこられた地域における子供の美術教育の経験をほかにも活かしていこうという部分がありますか? 「そうですね、子供の教育は創形を卒業して助手を勤めて途中からフランスに四年留学して帰国した後、仕事が無かったのでアルバイトの気持ちで始めて結局二十年が過ぎてしまったわけです。始めは子供という存在も地域という場所も全く考えなかったわけですが、毎週々々子供達が作ったり描いたりしている現場を目の当たりにしていると、この想像力はなんだ、こちらが意図した事をスルリとくぐり抜けていく子供という生き物はなんだろうと不思議に思い、長くつきあうと感情的な部分も見え始め、そこから透けて見える家庭の事やそんなこんなからその先にある地域という場所の問題も意識しはじめたわけです。そうして二十年がたち五歳だった幼児が美大生や作家になり今や教室のアシスタントになって手伝ってくれていて、そろそろ次の私の場所はと思っていた頃校長の話があり、今までの経験にうわのせできる事があるのではないかと考え引き受けたわけです。」 ●現在の学生もなんらかの夢をもって創形にきていると思いますが先生が学生当時、二十年、三十年後の自分をどのように考えていましたか? 「うーん、その当時になにを考えたかはハッキリ思い出せませんね。多分何も考えていなかったのでしょう(笑)。ただ私のなかでは現在もかわっていませんが、美術の問題というか表現するということが特別なことといった意識はありませんでしたね。ある意味生きていることといいますか自分の興味の向く先に表現というものが派生するのだと思っています。ですからどこかで美術教育というものを疑っているところもあるのかもしれません。まあそういう気持ちをもっているものが校長をやろうというのですから大変なんですね(笑)。入学してきた学生はまず十年ぐらいは好きか嫌いかを大切に自分を信じて生きていけばいいと思います。そしてその後の十年ぐらいはその好きか嫌いかを疑ってほしい。それは自分を疑う事になるわけですからなかなかきつい事になり精神的にも肉体的にも大変になる。その用意として今は自分を鍛えて欲しいし学校という制度を利用して欲しいと思います。 ●先生のなかでなにか新しいカリキュラムといったものは考ておられますか? 「我々の頃とくらべ学生の気質が随分と変わってきたなあと感じています。精神的にタフじゃない子が増えてきてると思います。これは創形に限ったことではないでしょうがそれだけ社会が切迫しているといった信号なのかも知れません。そうしたなかで学生達に願うことは、表現するということを大切にしてほしいということです。それは生きていく上でひとつの武器にもなりえると思うのです。比較的創形の学生はおとなしい子が多いようです。もうすこしディスカッションを含め表現に対してアクティブに関わらせたいと考えています。具体的なカリキュラムがどうこうといったことではないのですが、色々な方面から刺激をさせたい。そういう機会をつくるのも学校の使命だと思います。」 ●池袋に移って二年程経ちましたがこのポジションや空間を使って地域社会に働きかけてゆくプランはお持ちですか? 「私はこれから創形美術学校においてやっていかなければならないことが二つあると考えています。一つは当然作家、クリエイターを育てることですね。もう一つは、じゃあ卒業していく人が全員作家になれるかというとそれはなかなか厳しい現実があります。しかしたとえ作家になれなくても創形で美術や芸術を学んだことがその人の人生のなかで誇りになるような教育をしてゆきたいのです。現在私のなかで構想していることですが、これは昨年から創形のギャラリーで地元の小学生の展覧会を木村前校長が行ったことの延長線にもあるのですが三年生か研究科の学生に地元の小学校で美術の授業を行っもらうということです。自分の学んだことを今度自分より若い世代に伝えることで、初めて学んだことの価値を知るだろうし、また足らないところにも気づくことでしょう。その他、学校を地域の人達に社会人教育も含め開放することなども当然考えられることでしょう」 ●なかなか藤山先生らしいお考えで興味深いと思います。 「それと今、時代はリサイクル、循環型の時代に入ったといわれます。創形の学生も毎年約百名が卒業していく訳ですが後はそのまま放っておくということでいいのだろうかと思うのです。学校で磨いた原石をもう一度学校という場を使ってより輝きを増すことは出来ないでしょうか。そうした考えから今年から研修制度を発足させました。学校が単なる通過する場ではなく繰り返し戻って来れる場といいますか、そういったものが本当の母校なんじゃないかと思います。」 ●最後に先生は学校長でありながら同窓会の一員でもあるわけですが、これからの同窓会になにか求めることがありますか? 「同窓会というもののあり方から考えると三十年のいう時間は決して長いとは思いません。まだまだ最初の卒業生が五十代ということもありますし、また作家という経済的には脆弱な地盤に立った人が多いわけですから、同窓会の運営もなかなか大変だと思います。再来年創形は創立三十五年を迎えるわけですが、これを大きな区切りになにか学校と同窓会の共同企画を考えたいですね。それによりさらに創形美術学校の存在を社会にアピールできればと思っています。また卒業生の方々には大いに学校と関わっていただきたいと思います。近くにこられた場合は気軽にぜひ立ち寄っていただいて、後輩たちに声を掛けてやって下さい。それは作家として育てていくということもありますが、出会いや人脈が人間として生きていく上での一つの方法でもあると思うからです。」 ●本日は大変意義深いお話しをお聞きすることが出来ました。同窓会も今後も学校と協力しながら学校や同窓生のますますの発展に寄与したいと思います。校長先生にはお忙しいなか本当にありがとうございました。 |
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(2002年6月28日収録) | ||
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