vol.13

2004

 

 編集中です。ご迷惑をおかけします。

 

 

特集 「懐かしの国立探訪」

 

  
同窓会は会報を通して創形の歩みに伴ったニュースや同窓会の活躍又、同窓会活動等を皆さんにお伝えしてきました。今回の特集では多くの卒業生が学んだ国立校舎跡地周辺を幹事数名がレポートし「国立探訪」というタイトルで卒業後の学校周辺の”今”を紹介したいと思います。
会長 渡辺 勇 (造形科6期 ’77卒)

 

   

「おじん6人隊」
副会長 高橋輝夫(造形科15期 ’86卒)
  

「創形国立校舎跡に思う」
  

校舎跡に建ったマンション
  
磯島泰三 (造形科5期 ’76卒)
  
池袋の新校舎に創形美術学校が移転したのは2000年4月のことです。ですから昨年は既に国立校舎を知らない若い世代が池袋から巣立っています。しかし造形科5期生の私はもとより大部分の卒業生の皆様は、学生時代のさまざまな思い出の舞台として、きっと国立校舎を心のなかに懐かしく思い浮かべることでしょう。

今思うと国立校舎は少々変った外観の建物でした。地上3階地下2階・・・・、まるで全体の半分近くが地中に沈み込んでしまったような建物、しかも何とその最下層の地下2階の窓にまで太陽の日差しが届くように工夫し建てられていたのです。その地上部分はおもに造形科が使い、地下部分をおもに版画科が使っていたことは、その頃の卒業生にとっては周知の通りです。

ここで私の個人的な回想を挟ませて頂くのですが、当時は土曜日の夜に限って宿直の仕事を学生アルバイトに代行させていました。私も短期間ですがこのアルバイトにありつき、ここだけの話ですが(笑)土曜日の夜が来ると自分ひとりだけの校舎で我が物顔に振舞っていました。深夜のアトリエを独占して卒業制作の遅れを取り戻そうと必死になってキャンバスに向かったり、版画科のフロアにあった現像室を勝手に(ごめんなさい!)使って時間を忘れ明け方までモノクロ写真を何枚も何枚も焼き続けたり、図書室のソファに寝転んでコーヒーを飲みながら片端から画集に読みふけったり・・・・、まるで我が家のように羽を伸ばせた体験が、それまでちょっとよそよそしかった私と学校の距離をぐっと身近なものにしてくれました。・・・・このような学校との個人的な物語をきっと皆様方も幾つも持っておいでだと思います。

さて今回「国立探訪」のイヴェントで訪れたあの校舎のあった場所には、本当にみごとに綺麗さっぱり何も残っていませんでした。そこには隣の敷地と校舎跡地を一緒にして建てられた大きな真新しい6階建のマンションがあるだけです。我々一行は何か残っていないかウロウロ探しましたが、工藤氏が指差し教えてくれた道端に絵具が垂れて汚れた痕跡を見つけました。これが唯一の創形美術学校がその地に存在していた証拠だそうです。


「国立会館の記」
  
  
望月洋史 (造形科3期 ’74卒)
谷保駅を過ぎて甲州街道まで歩を進めると、まるで変わらない風景が出現した。谷保天神の石の鳥居である。道中変化の激しさにびっくりしていただけにここだけはタイムスリップした感がある。我等6名が向かう探訪の先は国立会館。仲間の中には、密かに名をは馳せているこの会館を訪れたことのない者もいる。創形が国立の地に建てられたのは三十年以上前。その頃、同期の数人が国立会館に住み始めた。


  
  
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