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−編集・発行 創形美術学校同窓会− (VOL.11) |
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特集 「同窓会の11年」 |
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創形美術学校同窓会が有志によって設立されたのは1992年ですが早いもので11年になりました。 創立時会長林信行氏(造形科1期)が中心になって当時の1期卒業生も40半ばになり、これからの学校の事や若い卒業生の将来の事も客観的に見ることが出来る年代になっていました。私も創立のころから組織を立ち上げるために有志の一人として参加していました。何もないところから皆純粋な気持ちで活動して学校や卒業生を側面から応援出来るような組織づくりを目指してきたと思います卒業してしまうと皆生活の厳しさを抱えて仕事をしている人が多いと思いますが、同窓会を立ち上げ同窓会新聞を発行する中で卒業生の活動報告や学校の現状を伝える事で、一時でも創形の卒業生であることの意識を感じてもらえたらと思っていました。林会長が4年間で会長を退きその総会で私が会長を引継ぐことになりましたが、私が卒業したのが5期ですので大変戸惑いがありました。普通どこの学校でも同窓会の会長というのは仕事を退いた年代の方が就くのがあたりまえだと思うのですが、悲しいかな創形はまだまだ新しい学校で職を退くどころか生活の余裕などない中で決めなければならない現状でした。 同窓会を立ち上げ、その主旨がいくら建設的であっても組織の維持には大変お金がかかります。創立当時、同窓会設立の主旨書を卒業生に送り賛同して会費を納めてくれた卒業生は全体の一割ぐらいでした。それから通信を送るたびに同窓会へ参加、賛同してもらえるようお願いしてきましたが毎年数名程の賛同者しか増えず、これからの同窓会組織を運営していくには一年生で入学した時点で同窓会費を預かり卒業した時点で会員として入会してもらうことを会議で決め、当時の若尾校長時代に学校側と交渉し学校パンフレットの中で同窓会入会の主旨を理解してもらう方法を取らせて頂きました。 さて私が在任中もっとも大きな事件とも言うべき出来事はなんと言っても創形が国立から池袋へ移転したことでしょう。何の予想もしなかったことですが、ある日突然理事会を通して説明を受け大変驚いたことを覚えています。確かに建設から30年にもなり阪神大震災を経験し学生の安全を考えるといずれ建て替えなければならない時を迎えていたと思います。国立は学園都市として充分過ぎる程環境的には落ち着いて絵が描ける場所だった思うし国立で学んだ卒業生にとっては何か母校がなくなってしまうような印象もあり残念な気持ちでしたがこれからの少子化時代を迎え創形が生き残って発展していくには現在になって考えてみれば都市の中心に学校があるべきと野決断は賢明であったと思います。学校の移転といってもこれは大変なことです。機能を全て移す訳ですから上野先生はじめ先生職員の方々、学生も含めて苦労があったと思います。同窓会としては卒業生として学んだ先生や校舎に感謝を込めて「国立校舎お別れパーティー」を企画し160人も集まりそれぞれ皆学生時代を懐かしむ意義ある企画だったと思います。私は比較的学校の近くに住んでいるので先日久しぶりに国立へ行ってみるとどうしても元創形の道を辿ってしまいます。もうすでになくなった校舎跡地には立派なマンションが建ちすっかり印象は変っていますが30年という創形の歴史は国立にあった訳ですから池袋へ移転しても変らずに残る創形の精神は皆それぞれ受け止めていると思います。 |
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(2003年5月12日) | |||||||||
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シリーズ「あの時の卒業生は今」は、今回は、お休みとさせて頂きました。
また、会報vol.11内の別の記事では、2002年度同窓会・特別賞の記事を載せていますので是非ご覧下さい。 |
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