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−編集・発行 創形美術学校同窓会−

(VOL.11)

 

 

特集 「同窓会の11年」

 

 

 昨年11月の総会において、中村信夫前会長(1976年卒 造形科5期)から新たに渡辺 勇現会長(1977年卒・ 造形科6期)にバトンタッチされました。
 中村信夫氏は同窓会発足当初から常任幹事として運営の中心に携わり、その後3期6年間に渡って会長としてご尽力頂きました。同窓会の歩みをつぶさに見て来られた中村氏にこの11年を振り返ってもらいました。   

 

   

 

中村信夫前会長
中村信夫前会長

 


 創形美術学校同窓会が有志によって設立されたのは1992年ですが早いもので11年になりました。 創立時会長林信行氏(造形科1期)が中心になって当時の1期卒業生も40半ばになり、これからの学校の事や若い卒業生の将来の事も客観的に見ることが出来る年代になっていました。私も創立のころから組織を立ち上げるために有志の一人として参加していました。何もないところから皆純粋な気持ちで活動して学校や卒業生を側面から応援出来るような組織づくりを目指してきたと思います卒業してしまうと皆生活の厳しさを抱えて仕事をしている人が多いと思いますが、同窓会を立ち上げ同窓会新聞を発行する中で卒業生の活動報告や学校の現状を伝える事で、一時でも創形の卒業生であることの意識を感じてもらえたらと思っていました。林会長が4年間で会長を退きその総会で私が会長を引継ぐことになりましたが、私が卒業したのが5期ですので大変戸惑いがありました。普通どこの学校でも同窓会の会長というのは仕事を退いた年代の方が就くのがあたりまえだと思うのですが、悲しいかな創形はまだまだ新しい学校で職を退くどころか生活の余裕などない中で決めなければならない現状でした。

  同窓会を立ち上げ、その主旨がいくら建設的であっても組織の維持には大変お金がかかります。創立当時、同窓会設立の主旨書を卒業生に送り賛同して会費を納めてくれた卒業生は全体の一割ぐらいでした。それから通信を送るたびに同窓会へ参加、賛同してもらえるようお願いしてきましたが毎年数名程の賛同者しか増えず、これからの同窓会組織を運営していくには一年生で入学した時点で同窓会費を預かり卒業した時点で会員として入会してもらうことを会議で決め、当時の若尾校長時代に学校側と交渉し学校パンフレットの中で同窓会入会の主旨を理解してもらう方法を取らせて頂きました。                     


 私が会長になって始めた企画に「同窓会特別賞」と「同窓会員による展覧会」があります。先に述べた入学時点での同窓会員入会制が学校側に認められたことで一応安定した運営が確保出来ることになり、企画も立てやすくなったと思います。創形美術学校では卒業制作展の中で学校側が選考する「創形賞」等の受賞制度がありますが、「同窓会特別賞」はそのうち学校の賞からもれた作品の中から同窓会員の投票によって絵画造形専攻1名、版画専攻1名、デザイン専攻1名の卒業生に同窓会から賞状と賞金を送る制度です。今年の卒業制作展で7年目を迎えましたが、オープニングパーティーの中で投票し発表するのが一つのイベントとしてすっかり定着しました。同窓会として卒業生を応援していくという一つの主旨がここで制度として確立し卒業後の作家活動の励みになってくれれば良いなと思います。「同窓会特別賞」は同窓会が与える賞ですので10年おきでも良いですからその後卒業してからの作家活動と併せて同窓会企画の「特別賞展」を是非催して欲しいと思います。                         

 次に「同窓会員による展覧会」の企画ですが、これは池袋に学校が移転した際に当時の木村校長にお願いし学校1階の画廊を同窓会主催で2週間借り卒業生の展覧会をするというものです。毎年1回公募制で事務局に作品写真と企画書を送ってもらい選考しています。在学生に対して卒業生の作品を通して対話してもらおうという主旨で始まった企画ですが学校にせっかく立派な画廊があるのですから色々な企画の立て方によっては学校と卒業生を繋ぐ可能性がたくさんあるのではないかと思っています。現在の同窓会展はその意味では実験的な企画として始まりましたのでもっと有効な企画があれば提案いただきたいと思います。

 さて私が在任中もっとも大きな事件とも言うべき出来事はなんと言っても創形が国立から池袋へ移転したことでしょう。何の予想もしなかったことですが、ある日突然理事会を通して説明を受け大変驚いたことを覚えています。確かに建設から30年にもなり阪神大震災を経験し学生の安全を考えるといずれ建て替えなければならない時を迎えていたと思います。国立は学園都市として充分過ぎる程環境的には落ち着いて絵が描ける場所だった思うし国立で学んだ卒業生にとっては何か母校がなくなってしまうような印象もあり残念な気持ちでしたがこれからの少子化時代を迎え創形が生き残って発展していくには現在になって考えてみれば都市の中心に学校があるべきと野決断は賢明であったと思います。学校の移転といってもこれは大変なことです。機能を全て移す訳ですから上野先生はじめ先生職員の方々、学生も含めて苦労があったと思います。同窓会としては卒業生として学んだ先生や校舎に感謝を込めて「国立校舎お別れパーティー」を企画し160人も集まりそれぞれ皆学生時代を懐かしむ意義ある企画だったと思います。私は比較的学校の近くに住んでいるので先日久しぶりに国立へ行ってみるとどうしても元創形の道を辿ってしまいます。もうすでになくなった校舎跡地には立派なマンションが建ちすっかり印象は変っていますが30年という創形の歴史は国立にあった訳ですから池袋へ移転しても変らずに残る創形の精神は皆それぞれ受け止めていると思います。                                              


 私が6年間同窓会会長を務める間若尾真一郎校長、上野遒校長、木村克朗校長と歴任されました。一昨年藤山貴司校長(1974年卒 造形科3期)人事が発表され来れも大変衝撃的な発表でした。なにしろ卒業生が校長に就任することは創形の歴史初めてのことですから。いよいよ創形の新しい時代の幕開けと感じ歴代の校長先生には申し訳ないと思いましたが「藤山貴司校長を祝う会」を同窓会企画でやらせていただきました。これはこれからの学校を考える時に卒業生の協力が不可欠であると考えたからでした。                 


 現在卒業生は2000人を越え、これから毎年増えていく中で創形の将来を考える時に同窓会の役割は増々大きくなってきています。まず少子化の問題があります。これから大学受験をする子供達は選ばなければ大学に入れる時代になってきています。その中で創形の専門学校としての特色をどのようにいかしていくか、学校の存在そのものが問われる時代になっていくだろうと感じています。このたび渡辺勇さんが会長として就任されましたが同窓会会長としての役目も大きくならざるを得ない状況だと思います。今迄は組織の形態作りが主な役割でしたがこれからは学校と同窓会がより密に協力しなければ学生募集においても厳しい時代になるのではないでしょうか。渡辺会長から同窓会支部を創るとの提案がありますが全国の卒業生が連絡を取りやすくするためにも私は大賛成です。創形全体を卒業生皆で応援できる体制は本当に必要になってきています。時間はかかると思いますが一歩一歩進んでいくしかないと思います。また新しい試みとしてクラス会にも同窓会が資金面で助成していくという提案は大変興味深いと思います。同級生というクラスの仲間の単位から出発するのはまさに同窓会の基本だと思います。                         


 創形の歴史も来年には35年を迎えますが作家として美術業界で注目される卒業生が本当に多くなってきました。これからは先輩と後輩の関係も創っていけたらと思います。とにかく制作しながら生活していくことは大変なことですし継続していくには先輩達の業界での経済的な道筋についても後輩にアドバイスしていく関係を強くしていく必要性を感じています。同窓会というとかた苦しく感じる人もいると思いますが私はお互いに仕事を進めるために卒業生がコミュニケーションを図って協力していくのが楽しいと思うしその中で学校を応援していくことだと考えています。
                           

(2003年5月12日) 
   

 

記念品贈呈

慰労会風景

幹事会より記念品を贈られる 中村前会長(手前)を囲んでの慰労会

 

 

 

 

 

シリーズ「あの時の卒業生は今」は、今回は、お休みとさせて頂きました。

また、会報vol.11内の別の記事では、2002年度同窓会・特別賞の記事を載せていますので是非ご覧下さい。

 

  
  
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