村上 達人 (むらかみ たつと)
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科 |
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造形科 |
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期 |
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1期(1972年卒業) |
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URL |
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略 歴 |
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1948年 2月 |
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東京世田谷に生まれる。 |
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4歳より9歳まで父親に絵画教育を受ける。 |
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12歳より14歳まで当時芸大生だった和田義彦画伯に師事。 |
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1969年 4月 |
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すいどーばた美術学院プロフェッショナルコース(創形美術学校)造形科入学。 |
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田口安男、坂本一道、歌田真介、柏健、高山登、榎倉康二等に師事。 |
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1970年 4月 |
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すいどーばた美術学院夜間部油絵科講師となる。 (〜72年3月) |
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7月 |
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学研グランド百科事典SFイラストでイラストレータデビュー.。 |
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(学研「日本SF名作選」に選出される) |
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1971年12月 |
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「視差展」 (600号の絵画)。 (椿近代画廊) |
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日本スペイン料理界の巨匠、故高橋俊明料理人と親しくなり、 |
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以後彼の店舗ディスプレイに関る。 |
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1972年 3月 |
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すいどーばた美術学院プロフェッショナルコース(創形美術学校)造形科卒業。 |
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4月 |
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企画展「レスポアール展」。 (スルガ台画廊) |
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9月 |
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若林薫画伯に依頼され、伊香保グランドホテルに60mの大壁画を手がける。 |
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1973年 2月 |
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国立近代美術館で森田恒之監修で鬼頭鍋三郎等の返却戦争絵画修復に関わる。 |
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7月 |
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渡 仏。 |
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9月 |
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パリ、フランス国立エコール・ド・ルーヴル。 ( 〜75年2月) |
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ヨーロッパ現代美術に魅せられ、以後純粋アートに没入する。 |
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1975年 2月 |
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帰 国。 |
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3月 |
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イラストレーターとして、二見書房、講談杜、集英社、等の |
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単行本・月刊誌・教科書等にイラストを載せる。 |
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8月 |
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初めてグループ展「トラバイユ」で立体作品を発表。 (銀座洋画商ホール) |
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1976年 6月 |
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グループ展「・・あるいは・・」でビデオとパフォーマンスの作品を発表。 (神奈川県民ホールギャラリー) |
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8月 |
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グループ展「トラバイユ」。 (日産アートサロン) |
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1977年 2月 |
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個 展。 (スルガ台画廊) |
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7月 |
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グループ展「トラバイユ」。 (日産アートサロン) |
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10月 |
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(株)クリエティブ・ナウ代表取締役就任。 |
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11月 |
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持田製薬メジカルビュー社「図説臨床内科講座」に、 |
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日本で初めてメディカル・イラストを掲載。 |
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1978年 2月 |
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個展、ビデオインスタレーション。 (スルガ台画廊) |
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7月 |
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ホログラフィ出品。「世界のホログラフィ」展。 (伊勢丹デパート) |
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1979年 6月 |
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美ヶ原高原美術館に、 |
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ライトアンドサウンドインテリジェントコンピュータコントロールシステムを企画制作。 (美ヶ原高原美術館) |
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10月 |
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個 展−胞循環器−。 (真木画廊) |
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1980年 8月 |
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個 展、空気膜立体−胞循環器II−。 (真木画廊) |
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10月 |
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「現代日本のマニエリスム」展。 (東京都美術館) |
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10月 |
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レーザーイベントを行う会社ロジェを合併。 |
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1981年 5月 |
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第15回現代日本美術展「反復」。 (東京都美術館、京都市美術館) |
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6月 |
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「−不思議な博物館展−」ホログラフィ「告知」。 (向ヶ丘遊園地) |
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7月 |
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個 展−胞循環器−。 (銀座スルガ台画廊) |
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8月 |
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「−メルローズ展−」。 (朝日アートサロン) |
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10月 |
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神奈川印刷フェスティバル「裏も表もありはせぬ」。 (横浜産貿ホール) |
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9月 |
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個 展−胞循環器III−。 (真木画廊、名古屋ボックスギャラリー) |
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11月 |
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「光展」。 (東京電気通信科学館) |
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1982年 2月 |
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個 展−胞循環器−。 (銀座スルガ台画廊) |
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5月 |
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第14回日本国際美術展「トリムポットシンドローム」。 (東京都美術館、京都市美術館) |
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8月 |
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環境デザイナー、ローレンス・ハルプリンRSVPワークショップ参加。 |
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10月 |
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ハイテクノロジーアート団体「アール・ジュニ」設立準備。会員。 |
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10月 |
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「アール・ジュニの世界」展。 (ギャラリー月光荘) |
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10月 |
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折田克子ダンス「柔らかい月」テーマ美術。 (草月ホール) |
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11月 |
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レーザーアート展。 (ギャラリー月光荘) |
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12月 |
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現代彫刻家シリーズ「トリムポットシンドローム」。 (銀座ソニービル) |
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1983年 1月 |
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NHK「’83ゆく年くる年」新年タイトルレーザーショー。 (NHK) |
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4月 |
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東京ディズニーランド、グランドオープニングセレモニー、レーザーショー。 (東京ディズニーランド) |
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5月 |
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山本衛士彫刻とレーザーワークショップ「空存激光」。 (世田谷区立砧公園) |
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5月 |
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個 展「内胞器」。 (真木画廊) |
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6月 |
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オープン記念「幻想と造形」展プレイベント。 (岐阜県立美術館) |
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7月 |
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ナムコ「遊びの玩具箱」。 (新宿NSビル) |
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9月 |
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東京コミュニケーション会議、「Tokyo COMCON」パネラー。 |
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10月 |
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メールアート展。 (渋谷西武百貨店) |
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1984年 2月 |
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(株)エー・アンド・ティー代表取締役就任。 |
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3月 |
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個 展「気胞態-蠢動」。 (田村画廊) |
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4月 |
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創形美術学校造形科常勤講師。 ( 〜86年3月) |
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7月 |
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個 展「気胞態-連鎖」。 (田村画廊) |
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8月 |
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水戸「黄門祭り」花火大会、レーザ−ショー演出。 |
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1985年 2月 |
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現代彫刻家シリーズ「ペンタクルシンドローム」。 (銀座ソニービル) |
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3月 |
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個 展「現象I-回帰」。 (真木画廊) |
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4月 |
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国際科学技術博覧会「三井・滝の劇場」館、ホログラフィ・シャンデリア。 (国際科学技術博覧会) |
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7月 |
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横浜こども科学館「光のふしぎ〜ホログラフィ」展、企画、制作。 (横浜こども科学館) |
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10月 |
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個 展「現象II」。 (田村画廊) |
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11月 |
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個 展「現象III」。 (真木画廊) |
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1986年 5月 |
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「スバルアーバンスクェア・モダンアートシリーズ」、 |
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出品作家プロデュース、空気膜立体の出品。 (アークヒルズ) |
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7月 |
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「ハイテクノロジーアート国際展'86」。レーザーハープインスタレーション。 (サンシャインシティ) |
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8月 |
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企画展「ザ・キネティック・オペラ」、レーザーハープとパフォーマンス。 (埼玉県立近代美術館) |
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10月 |
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企画展「村上達人の世界」、レーザーハープ、ホログラフィ、空気膜立体など。 (行徳西友) |
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1987年 5月 |
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横浜パフォーマンスフェスティバル「メイガーデン'87」。 (横浜開港記念館) |
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「まい・うたい」レーザーハープインスタレーションと演出、パフォーマー竹谷明美。 (横浜開港記念館) |
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6月 |
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パフォーマー仁科きぬ子「円トレーニング」参加。 |
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6月 |
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ハイテクノロジーアート国際展'87「エレクトロ・ルナパーク」。 (新宿NSビル、札幌芸術の森公園他) |
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7月 |
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「光と音のふしぎな世界展」、出品作品プロデュースとレーザーハープの出品。 (新潟県自然科学館) |
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8月 |
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城島高原ホテルにレーザーハープショー。 (城島高原ホテル) |
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10月 |
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檜原村村起こしイベント「卑弥呼幻想」、 |
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友永紹三の人形とレーザー、熊谷乃理子、竹谷明美他ダンスコラボレーション。 (檜原村) |
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1988年 5月 |
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新素材展、アイキャッチディスプレイ。 (伊勢丹デパート) |
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6月 |
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ハイテクノロジーアート展「エレクトロ・ルナパーク」、CVIとレーザーハープインスタレーション。 (山口県立美術館) |
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7月 |
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新しい光と映像展「レーザービデオへンジ」、 |
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CVIとレーザーハープインスタレーション、パフォーマー竹谷明美。 (山口県立美術館) |
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8月 |
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「スペースカーニバル’88」、企画、総合演出、レーザーピアノ、大型映像装置パニ他。 (神奈川県民ホール前広場) |
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1989年 2月 |
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企画展「コアセルベート展」、 |
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逢坂卓郎・田崎和隆・河口洋一郎とのコラボレーション、企画、総合演出、舞台、レーザー、空気膜立体。 (コニカプラザ) |
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4月 |
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横浜博覧会「大地のパイプオルガン」ベイサイドパーク、 |
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ライトハープインスタレーション、パフォーマー熊谷乃理子他。 (横浜博覧会) |
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7月 |
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「アンドロイドの光たち展」、企画、展示、制作、CVIとレーザーハープインスタレーション。 (横浜こども科学館) |
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10月 |
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(株)アート・アンド・テクノロジー代表取締役。 |
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1990年 4月 |
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大阪花の博覧会ハワイ館、ホログラフィ。 (大阪花の博覧会) |
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5月 |
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横浜市「バルセロナ展」オープニングイベント「ピクトドラマアバトン」同会場内、企画・総合演出。 |
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6月 |
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LASA(レーザーアートアンドサイエンス協会)常任理事。 |
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6月 |
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(株)セノン取締役になる。営業開発室長。 |
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7月 |
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「ふしぎな光のオブジェたち」、企画、総合演出。 (藤沢市湘南台文化センター) |
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8月 |
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「ヨコハマ・サマーナイト・フェスティバル」、高さ40mの空気膜立体。 (山下公園) |
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1991年10月 |
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某企業ビックセレモニー、総合演出。 (横浜アリーナ) |
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1992年 4月 |
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三陸博「新日鐵ポセイドンシアター」、 |
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エントランスホール演出、制作。(通産大臣官房商務流通審議官賞−ジャパンエキスポ大賞優秀賞受賞) (三陸博) |
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5月 |
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NECパソコンアートフェスティバル、バーチャル楽器。 (NKホール) |
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1993年 4月 |
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「東京都多摩21 くらしの祭典パビリオンA」、総合企画・基本設計、メインモニュメント制作。 (東京都) |
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10月 |
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神戸青少年科学館「レーザーハープ」展示制作。 (神戸青少年科学館) |
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1994年10月 |
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「バーチャルスタジアム」、企画・設計・バーチャル野球ゲーム制作。 (そごうデパート) |
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1995年 4月 |
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草津市水生植物公園「ロータス館」、展示室総展示企画・設計・制作。 (草津市水生植物公園) |
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6月 |
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企画展「マルチメディア私だけの風景画」。 (そごうデパート) |
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8月 |
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企画展「COLONY」。 (かながわサイエンスパーク) |
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2000年 4月 |
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(株)セノン子会社極東警備保障(株)代表取締役社長兼務。 |
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2002年 8月 |
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(株)せノン退社。メディカル・イラストレーターとして制作再開。 |
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2004年 8月 |
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「ある美術学校の物語−創形美術学校と高澤節−展」 (長野県池田町立美術館) |
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2005年11月 |
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10年ぶりに現代美術の作品を発表。 |
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2006年 4月 |
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「宗教芸術研究会シンポジウム」で公演。 (国立博物館平成館) |
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5月 |
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城西大学美術部の専任講師になる。 |
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12月 |
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NPO法人科学学際研究所会員、環境芸術学会会員になる。 |
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2007年 2月 |
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NPO法人科学学際研究所東京分科会「プンドポ」会主催。 |
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4月 |
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海老名文化会館で、テルミンと現代ピアノのコラボレーション企画主催。 (海老名市文化会館) |
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5月 |
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舞台照明を扱う合同会社パーフェクトブルー設立、業務執行社員(役員)となる。 |
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6月 |
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アルス・ウナ芸術学会会員になる。 |
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7月 |
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「ル・シェンヌ」展に出品。 (銀座 井上画廊) |
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7月 |
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NPO法人科学学際研究所理事に推挙される。 |
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7月 |
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現代彫刻家山本衛士らとフリーアートスクール(FAS)設立準備を始める。 |
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10月28日 | 逝去 | |||
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